Zero-Alpha/永澤 護のブログ

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クノッソスの影――<名前>と<噂>を巡る試論
                  
【執筆時期】
第1期:1997.4/21-7/22.
            第2期:1998.3/23-/.
付記(第二部)
第1期:1993年12月21日から約一月の間.
  第2期:1995.3/20午後-3/28.
第3期:1996.2/3-2/6.
第4期:1998./-
  
  【第1章:〈魔女〉のもとへ――残された告白文の傍らにて】
 ……今はもう誰もいない部屋に残された告白文の傍らにて。ふと、窓ガラスから射
し込む黄昏の光にうながされてふり向くと、テ-ブルの上にその告白文の断片が。

 『……あの時も、誰もいないはずのあの家の窓に……黄昏の光が静かに反射してい
た。その光かと思ったのだが……誰もいないはずの、そしてとうの昔に電気が止めら
れているはずのその家の扉の傍らに、私は確かに見たのだった、オレンジ色の電灯の
一瞬のきらめきを。そしてそれが、鮮やかな恐怖に満たされた私の身体を鋭く貫いた
のだった。

 ……どうしても、一度聞いたその家の名前が思い出せず、しばらく眠れない日々が
続いた。それが私にとって、あまりに寒気がする名前だったという記憶。私は、その
日の記憶をたどる手がかりに直接出逢うことはしばらくあきらめ、間接的な連想の糸
をたぐりよせながら、残された最後の力を使って資料整理を始めたのだった。あたか
も、あの壮麗なクノッソスの迷宮に挑んだアリアドネ-を追い求めるようにして。そ
れは、記憶回復を賭けた治療作業と言ってもいいだろう。』

 『……[滋賀県五個荘町の肩パッド製造会社「サングル-プ」の寮で起きた――引
用者による注。以下同様]サングル-プ事件にはさらに重大な疑惑がある。
 保護者や福祉関係者でつくる「被害者の会」によると、93年4月、従業員寮のふ
とんの中で女性の障害者(当時28歳)がぐったりしているのが見つかり、病院に搬
送されたが栄養失調ですでに死亡。昨年も3人の女性が栄養失調で保護された。満足
に食事が与えられず、「骨と皮だけでガリガリにやせ、足と腕の太さが同じだった。
目がうつろでおびえた様子だった」と、福祉施設職員で同会事務局の長の今井一夫さ
ん(62)は証言する。同会の調査では、それ以前にも、寮で知的障害者3人が死亡、
3人が行方不明になっている。「入手した従業員名簿などから追跡調査しているが、
身寄りがない人や、保護者が表に出たがらず難航している」と今井さんは言う』(毎
日新聞1996.12/27.『福祉を食う――虐待される障害者』3)

 ――あの出来事は、おそらくこの記事を読んだ年、つまり去年の夏のことだ。しば
らくは、安心して数字を読むことさえ出来なかったと言うわけなのだろう。こんな当
然のことがなぜ思い出せなかったのか。間違いはない。1996年8月下旬のことだ。
私が一人の友人を車の助手席に乗せながら、その友人から初めてその家の名前を聞い
たのは。その家のイメ-ジは、こんな感じだっただろうか。閉鎖されているはずのか
つての監禁の空間が、一見まったく何の変哲もないこじんまりとした住宅街の一角に、
荒涼とした無人の姿を野ざらしのままさらしているのだ。まったく不可解なのだが、
相変わらず確信は持てない。その力はもはや残されてはいない。今の私にとって、確
信を持つことほど恐ろしいことはないのだ。(だが、おそらく……記憶の安全保障期
間が切れようとしているのはほぼ間違いはない。)
 私は今、その記憶をたぐりよせる過程で、他の一連の資料を思い浮かべていた。

『……[山梨県にある知的障害者施設「富士聖ヨハネ学園」]では1990年にも、
幹部職員が女性入所者3人に暴行していたことが、女性の訴えで発覚。学園側は職員
を依頼退職にしていた。
 昨年12月には別の女性入所者(22)の喫煙に腹を立てた職員が、独断で女性を
施設から追い出した。女性は都内で警察に保護された後、「施設を出た直後に、見知
らぬ男性の車に乗せられ、ホテルで暴行を受けた」と語った。
 200人近い入所者を抱える「富士聖ヨハネ学園」には昨年度、国、都などから民
間福祉施設への「措置委託費」として、計7億7000万円が支給されている』(毎
日新聞1996.12/28.『福祉を食う――虐待される障害者』4)

 『……アカス紙器は雇用していた知的障害者を虐待する一方、賃金を極端に低く抑
え、多額の雇用開発助成金を詐取していた。助成金の期限(一年半)が切れる障害者
を自主退職に追い込むため虐待した疑いもある。虐待の場となった寮は4200万円
の助成金を受けて建設された。労働基準監督署などの行政機関は障害者を多数雇って
くれるからと、実質的なチェックはせず、同社を「優良企業」扱いし、駆け込んでき
た被害者の再三の訴えも無視した。
 「行政の谷間で起きた事件ではなく、行政が積極的に作り出した事件だ。障害者を
助成金に付随する存在のように扱い、虐待を許した行政の責任は極めて重い」と、原
告弁護団の副島洋明弁護士は強調する』
 (毎日新聞1997.2/3.『福祉を食う――虐待される障害者 PART・』
1)

 ――次々と、半ば忘れられた資料の断片が、あの家のひび割れたむき出しのコンク
リ-トの壁に浮かび上がっていく。そしてその壁の亀裂から、今度はかすかな、しか
し鋭い叫びが聞こえてくる。深く、激しい悲しみと、やり場のない怒り。だが同時に、
何という新しい力がそこに生まれていることか……。誰もいないはずの、誰もいなか
ったはずのその閉ざされた部屋に、誰かの気配を確かに感じとったその瞬間に、オレ
ンジ色の電灯の光は、私にとって決して消すことの出来ないものになった。誰かが確
かにそこにいたのだ。いったんは人々の忘却の淵に沈んでしまい、外からは決して見
えなかったのだとしても。それが一体誰なのか、誰一人として問うことがなかったの
だとしても。

 『……「父ちゃんをどうしてしょばつしないのですか。自分の父親でなくしてもら
いたい。(略)他の人に手をふれないようにしてもらいたい」
 東北地方の福祉施設で暮らす知的障害の少女(19)が支援団体に送った手紙は衝
撃的だった。少女は一昨年秋、保護された。実父やその遊び仲間から5年以上も受け
ていた性的暴行から逃れるためだった。
 ……少女を幼いころから知る大人たちも、父の留守に家に上がり込み、関係を迫っ
た。貧しさに付け込み、おにぎりや菓子を持参して来る。「親父に金を貸してるんだ
から」と言って脅した。
 ……うわさは町中に広まっていたが、児童相談所も民生委員も調査さえしなかった。
 ……施設に入った当初は表情がなく、呼びかけにも反応しなかった。夜はうなされ、
寝つけない。「目を閉じると、あの人たちの顔がぐ-っと近くに来るみたいで」。一
日中泣き通す日もあった。職員の勧めでノ-トに向かった。これまで、何をされてき
たか。B5判のノ-トはみるみる埋まった。次第に職員と話すようになった。上京し
て自立生活を勧める障害者グル-プの若者に会い、勇気づけられた。
 ……最近、支援者への手紙に「『自立』の情報ください」と書いた。いまは青果市
場で働き、漢字や生活費を計算する練習も始めた。「7月、ハタチになるから。『独
立記念日』が近いから」と、少女ははにかんだ』
 (毎日新聞1997.2/5.『福祉を食う――虐待される障害者 PART・』
3 強調は引用者による)

 ――私はなぜか、これら資料の裏側で、あの特異な歴史家ミシュレの記述を思い起
こしていた。(彼を「ロマン主義者」の一言で片づけることはできない。) そこに
書かれた出来事は、すでに取り返しようもなく生まれ、繰り返されてしまった。いつ
かこの私が、再びその出来事に出会うことがあるのか。そして、奇跡的に没落を乗り
超えた少女が獲得した、「あの人たちの顔」を破壊する書くことの力に……。

 それ以来、私の眠りは際限のない叫びによって切り刻まれ、干上がり、完全に蒸発
してしまう。「……やつらは一体何者なんだ!」 血に飢えた声の渦が究極の獲物を
追い求め、薄笑いを浮かべながら、それを捕獲する。「……やつらは、あれは、魔女
だ!」

 ――ところで、〈魔女〉とは一体誰なのか?

 ――少なくとも今の私は、あらかじめ用意された人間復帰のための文書を捨て去っ
てしまっている。私はもはや、「〈魔女〉とは一体誰なのか?」という問いに答える
ことができないのだ。我々が純粋な偶然によって〈魔女〉になってしまうという恐怖
に満ちた可能性も、あらゆる偶然を必然に変えてしまう文書によって、いつもあらか
じめ我々の現実として用意されているのだから。すなわち、我々人間の経験の、そし
てその経験の〈欠如〉の可能性の条件として。つまり、我々はいつどこで死の贈り物
を受け取ることになるか分からないのだ。
 去年の夏――今なお全くの偶然としか私には思えないのだが――あの遺棄された
家の前を通り過ぎたことも、例えば次の資料によってひそかに予告されていたかも知
れない。
 (……私はそこに閉じ込められた。収容されたのだ。私が重い病気になってしまっ
たのは、そのためだ。それは間違いはない。もうずっとずっと、幼い頃から、いや、
生まれた時にはすでに……。この私が、あの《欠如の迷宮》に閉じ込められたのは。
おそらくは、まだ私が生まれるずっとずっと前に、その仕組みはすみずみまで出来上
がっていた。あの家が、あれほどまでに永い間、人々の忘却の淵に沈んでいたのも、
そのためだった。そしていつしか、忘却の中を執ように生き延び、再び不安に満ちた
人々の噂になって復活してしまったのも。「あの家が……、例の、あの家らしいわ…
…」)

 『……犬鳴峠の風景は、東京・足立区、夫婦とも働きや、女手ひとつで子供たちを
育てた家庭のそれよりはるかに荒涼としている。
 主犯格の少年は、七人兄弟の末っ子。父親は六十三歳で母親とは別の籍になってい
る。五十九歳で生活保護を受ける母親といっしょに住んでいた。
 四十歳で末っ子を生んだ母親は、以来、健康がすぐれず、入退院の繰り返し。末っ
子は小学生のころ、しばしば学校を休んだ。度重なるうちに、先生は事情を知ること
になる。彼は母親が好きだった。母親に甘えたいという衝動が起こるたびに、飢えた
この子は、朝、家を出るなりその足で病院に走っていたのだった。
 母子の事情をよく知る人は、
「誰から聞いたのか、母親が病弱になったのは、自分を生んだせいだ、とあの子が思
いこんでいたふしがある」
 と言う。
 彼の姿が教室に見えないと、先生はただちにオ-トバイを飛ばして病院に先回りし、
うむを言わさず学校に連れて行く。やがて彼は、何かにつかれたように非行を重ねる
ようになり、ついには、
「どうせ先行きたいしたことなんかあるわけない。こうなったら、突っ張れるだけ突
っ張ってやる」と開き直った』(佐瀬 稔 『うちの子がなぜ! 女子高生コンクリ
-ト詰め殺人事件』 草思社 p.214-215.強調は引用者による)

 ――いつしか欠如の迷宮へと収容され、手足を切り落とされ、人々の噂の渦の中で
きれいに消される者たちは、やがて、あるいは直ちに、〈消される者たち〉から〈消
す者たち〉への果てのない循環の中へと巻き込まれる。「殺される者は殺すほかない」
という彼らの最後の叫び。だが彼らにとっては意外にも、《絶対的に消される者たち》
との出会いへと向かいながら……。すべての他人たちからさげすまれ、消されたかに
見えた彼らは、彼らによって最後に消される者たちとの埋めることのできない裂け目
を、もはやどうすることもできないのだ。
 だとすれば、《絶対的に消される者たち》、あるいは〈魔女〉とは一体誰なのか?

 『……――被害者に何か話しかけたのか。
「『大丈夫か』と聞いたら、とぎれとぎれの声で『苦しいです』と……」
 ……十七歳の少女は死んでいた。
 次郎と三雄が妙な声をあげて笑う。一夫はとっさにこう考えた、と法廷で述べた。
「これでもう、自分は彼女といっしょにはなれない。自分は殺人者で、彼女は殺人者
ではない。だから、いっしょにはなれない……」』(同上 p.253.)

  【第2章:〈噂〉からエピメニデスのパラドックスへ】
 ――私の記憶の中でなかば廃虚と化したその家は、にもかかわらず、取り立ててど
こかが崩落していたわけではなかったようだ。だが、数十年もの間遺棄されていた、
という廃虚の雰囲気の中に深く包み込まれていたのだった。つまり、人々の噂の中に。
もちろんこの数十年近く前というおぼろげな推測に、特にはっきりとした理由はない。
ただ、人々の噂によれば、今から少なくとも数十年近く遡ったある時、その家で何か
が起こった。そしてその何かの出来事に出逢った誰かに由来するはずの噂が、今にい
たるまで引き継がれてきたのだ。しかし、「一体何がおこったのか」を推測しようと
いうあらゆる試みは、いつしかその家に付けられた名前によってあらかじめの挫折を
運命づけられているかのようだった。なぜなら、あまりにもその名前が不可解すぎた
から。いつしかその家の噂は、常にその名前に伴われて現れ、それとともに、人々の
噂がその同じ(?)人々の手足をあらかじめ恐怖で縛り付けてしまったかのように…
…。どこまでも見えない記憶をたどって、私は再び、極めて厳密に計算され、完璧に
仕組まれた罠、すなわち噂についての資料へと接近する。不可解な物語の中で崩壊し
たあのクノッソスの迷宮にいつしか侵入してしまったウィルスの群れを追い求めな
がら。

 『……私がチ-マ-のことにこだわるのは、以前、祐一と同じ塾に通っていた子が、
同じ高校を受験するっていっていたことがあったからです。その子が、「俺はチ-マ
-してるから、いくらでもお金ができる」というようなことをいっているのを知って、
祐一は怖がってその高校の受験をやめちゃったんです。それも異様な怖がり方なんで
す。私は「中学校の三年生に殺すなんてことができるわけないじゃない」っていった
んですけどね(……)
 ……架空パ-ティ-券、校内で“押し売り”……
 中心となって何度も売買に関与した生徒は二十人以上にのぼったが、売上金は半年
で百万円近くになり、ほとんど元締めの元生徒に「上納」したと話している。
 (『読売新聞』夕刊 九六年五月九日)』(鎌田 慧『せめてあのとき一言でも』
草思社 p.186-187.p.196.強調は引用者による)

 『……娘が[ベランダから飛び]降りたところに、親として花は置きたいんです。
花から線香から手向けたいんです。だけども、下が商店街ですので、やっぱりそれは
できないんですよ。それでも、その降りたところに花も置かん親だから、子どもがあ
んなふうになるんだと、そういう噂を流されて……。それからあと半年ぐらい、昼間
であろうと夜中であろうと無言電話です。これにはもう参りました』
(同上 p.211-212.強調は引用者による)

 まさに迷宮としか言いようのない噂の仕組みをあえて一挙に描くなら、例えば次の
ようになるだろう。
 『……先週からなんとなく見かける超飢餓状態のこれら退屈な人々はどこから見て
もまったく焦ってはいなかったようにどこかで思われていたようだがひょっとして
今やどんな逃げ=裏切り=ほんの冗談も不可能になっていたのではないだろうかと
いうある表立たない申し合わせがほぼ完全に共有されているのだという極秘の建て
前のもとにすべてのル-ルのまさに決定的な根拠そのものが存在しているはずであ
り厳密にただそれだけが彼らの驚くべき退屈さと恐怖と戦慄と不安のごたまぜ状態
をこれを限りに分析し尽くすはずだとごく一般的な思惑あるいは広く流布していた
ある見解またはただの噂によれば信じられていたのだったが実際にはそれどころで
はなくむしろ問題の超飢餓状態は……』
(『ゼロ・アルファ』光景・ 強調は引用者による 一部修正)



 ――ここで私は、これら資料を黄昏の光のもとで眺めながら、あの名高い「嘘つき
のパラドックス」、すなわちクレタ人自身が語る「我々クレタ人はみな嘘つきだ」に
思いをはせる。ちょっと考えてみれば、誰でも気づくはずだ。もし本当にあなたがク
レタ人なら、「我々クレタ人はみな嘘つきだ」と告白した瞬間に、あなたのその告白
の真実は失われてしまう。すなわち、もしあなたのその言葉が真実なら、「嘘つきで
ある」という言葉は嘘なのだから、あなたは嘘つきではないわけだ。逆に言えば、あ
なたの真実の告白は、あなたの誠実さゆえに、告白した瞬間に裏切りの言葉になって
しまう。……真実の告白である限り、その告白は嘘になる。語られてしまう限り、も
はや語ることが不可能になるのだ……。
 ――ふと私は、このパラドックスが、クレタのクノッソスから(BC596-593頃)ア
テネへとやってきたエピメニデスの言葉として今に伝えられていることに気づく。ギ
リシアの系譜は、はるか彼方のクノッソスの迷宮からすでに始まっている。エピメニ
デスは、その系譜を確かに受けとめた。私の胸を鮮烈な感覚が貫く。そこにこそすで
に、「すでに語られたこと」と「語る行為」の間の消しがたい隙間/裂け目を〈欠如〉
として抹消しようとするあらゆる試み=〈偶像〉の黄昏が刻み込まれていたのだ……。
 それでは、あの『偶像の黄昏』において、「嘘をつくこと」は一体どう語られてい
ただろうか……。

 『……仕込みの道徳と飼い慣らしの道徳とは、自らを貫徹する手段においては、完
全に互角である。我々がここで最上の命題として立て得るのは、道徳を作るには、そ
の正反対につく絶対の意志を持たねばならないということである。これは私が最も永
い間にわたって追求してきた大きな問題、不気味な (u n h e i m l i c h e)問題で
ある。即ち、人類の「改善者“Verbesserer”」たちの心理学だ。(……)マヌも、
プラトンも、孔子も、ユダヤ教やキリスト教の教師たちも、かつて彼らの嘘をつく権
利を疑ったことはなかった。彼らは、全く別の権利に疑いをかけたことがないのだ…
…この事情は次のような公式で表現できよう。これまでそれによって人類を道徳的に
しようと図った全ての手段は根底から(von Grund aus) 不道徳なものであった、と』
(ニ-チェ『偶像の黄昏』「人類の“改善者”たち」最終節[DTV版1980.で
102ペ-ジ]強調は原文による)

 ――もちろんこのことは、クレタのエピメニデスにとっては明らかだったろう。絶
えず崩壊と再生を繰り返したクノッソスの迷宮に通じていたはずの彼であれば。そし
てその廃虚から再び誕生する欠如の迷宮の姿を見届けた彼であるなら。一見奇妙なこ
とだが、我々人間の誕生と同時に始まる「人類の改善の試み」の全てが、すでに途方
もない時の流れの中である一つの運命をたどってきたこと、しかし予定されたはずの
そのプログラムが決定的な崩壊へと到らざるを得ないことを彼は完全に見通し、告知
したのだ。

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